「安比湿原 その3」  2021.09
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 安比湿原は、安比高原の山の中にありますが、あまり知られていません。 もしかして知らない人は、奥のまきばにある池塘群を安比湿原だと思っているかも知れません。(リンク先の地形図は写真と切り替えてご覧ください)
 この道を通るのは4度目になるでしょうか。初回は黒谷地のバス停からスタートして茶臼岳に上り、北へ向かって安比歩道に出、安比温泉に入って、安比岳に登り、源太森近くの三叉路から出発点に戻ってきました。 当時は安比歩道も地形図には載っていなかったような気もしますが、道が続いていたのでどんどん歩いて一周することが出来ました。これが安比温泉との出会いでしたが、安比湿原があることは後に某書で知ることとなり、安比湿原への初回アタックになりました。
 初回の記事はこちらにありますが、一気に安比第二湿原迄到達することが出来ました。
 2回目の安比湿原はワンコ連れで、こちらに記事があります。
 そして今回3回目の安比湿原は、ドローンを使って上空からの眺めをGETすることが出来ました。

 高高度からの写真は、安比湿原はこちら同第二湿原はこちらからご覧いただけますが、地上歩行でこれを俯瞰するとなると、安比岳の中腹迄登って眺める必要があります。
 安比湿原という名称が、どうやら公的な物であるらしいのは、安比歩道の入口にある森林管理署が設置した看板(下写真)によります。
 左写真のなかほどに、黄緑色のエリアが2か所あります。歩道に近い方が今回訪ねた所で、遠い方(私は勝手に第二湿原と呼んでいる)は空からだけの観察にしました。
 左下写真では安比湿原の右上、草の湯の更に上方と右上に「後谷地」「前谷地」が描かれていますが、こちらもいつかは行ってみたいところです。でも効率性から言うと最寄りの車道からドローンを飛ばすのが楽で良く見えそうではあります。
 いつもの赤川砂防ダムを渡り、林間の緩い登り坂を気持ちよく歩いてゆくと、安比川の渡渉に向けた下り坂になります。赤土の崩落した斜面はいつもの通り通過できます。季節は秋なのでツバメオモトやオオカメノキ?などの実が色づいています。ツバメオモトの名の由来は、木の実が燕の頭に似てるところから来たそうです。
 やがて道は河畔に降りますが、年々河床の浸食や,反対に土砂が堆積したりするところが増え、大木の流木が道と河道を塞いでいたりします。通常ならば渡渉は右岸から左岸への1回だけで安比岳方面への登りにかかりますが、今回はそこに至るまでに1往復半、計3回の渡渉が必要でした。それほど登山道が流失していました。
 右岸(上流に向かっては左側)をそのまま進むはずの道の崩落した箇所から河床に下りて、左下写真のような荒れ地をルートを探しながら進みます。一応先駆者がピンクリボンを付けてくれています。
 ですがリボンのついているルートは分かれることが有り、その年の荒れ具合の状況により、危険を避けた上で柔軟に対応する必要があります。GPSと地形図で位置は確認できますが、現地でどう進めばよいのかは、自己判断になります。
 渡渉と湿原での水分の多さから、ウチではこの辺りへはゴム長靴で行きます。
 安比温泉に至る道も、安比岳方面との分岐点から、右岸だけを辿るように地形図には描かれていますが、元々(ここ30年以上)渡渉を1往復以上繰り返すルートでした。それも荒廃が激しいものの、2020年6月には少しの高巻き迂回ルートがある程度で通過できましたが、2021年には虎ロープが張られて進入禁止になっていました。
 なので、安比温泉へ行くには一度安比岳方面に木の根の階段の急な上り坂を進んで、再度分岐点から安比川の渡渉に戻るのがましと思われました。 しかしその分岐点には下のような掲示がしてあり、そこからも安比温泉方向への通過は困難になっているものと思われます(今回は進入してみることはしませんでした)。
 広葉樹の林間を進んで、猛毒のトリカブトが出て来ると安比湿原への分岐に近くなります。ここにも土砂崩れ・土石流の跡がありますが、十数年前には数メートルの小規模な幅でしたが、かなりひどい状態になっています。
 分岐点にはこれといった目印や案内板はありませんので、急な上り坂にかかる前の小さな流れがありそうな所を辿って行くことになります。かすかに踏み跡はあります。
 一応GPSで軌跡は録りながら、戻り道を見失った場合に備えますが、そのほかにも要所で、目印を付けながら進みます。
 安比歩道上の分岐点からは数分で安比湿原の一角に出ます。そこには池塘がたくさんあるはずなのですが、地上目線からは直近の物しか見えません。また草地は季節が秋のせいか野芝が伸びたような固い葉が沢山伸びています。すすきも前回より広く生えているような気がします。
 左写真、右上の山は安比岳に続く稜線です。
 左下写真では水中に陸生植物のような花が咲いています。
 下写真はワタスゲの名残です。
 
 ここからは空撮映像からの切り出しです。
  ↓ 安比湿原(上段・歩道に近い方)の全景。左が西南で歩道方面・右は 下段の第二湿原北島方面です。一般的な高層湿原の池塘に比べて、流水が結構あり、隣の池塘との間に小さな水路が出来ている所もあります。

  ↓ 第二湿原の方上空から見た第一湿原。密林の中にぽっかりと開けているのがわかります。

  ↓ 第一湿原の上空から見た第二湿原 右の斜めの稜線は前森山(安比高原スキー場)又は西森山かと思います。
 第二湿原(下段)の池塘。 3個を除いてははっきりとした池はなく、段々畑状の高低差のある浅い水たまりです。全体に結構な傾斜があります。 ここへ行くには藪の底を流れる沢沿いに下って行くしかありませんが、今回は上空から観察できることもあり省略しました。詳細は別記事でご覧ください。
 第一湿原上空から第二湿原を眺めたところです。 奥が低く、40m程の高低差があります。

 地上歩行動画と、ドローン空撮動画を結合編集した物をアップしましたのでこちらからご覧ください。解説字幕入りですので、字幕ONでご覧ください
 往復で観察時間を含めて約4時間で赤川砂防ダムに置いた車に戻ってきました。今回は初めて2人のパーティとすれ違いました。出発点は同じで、茶臼岳から時計回りでの周回とのことでした。
 綿帽子温泉でお風呂をいただいたあと、中のまきばに戻って夕焼雲を眺めながら夕食とします。
 

 安比高原中のまきばには、こんな山奥なのに、昼はもちろん、夜も早朝も人がやってきます。山菜・タケノコ採りのシーズンは夜明け前に多数の車が通過します。夏の終わりの今回は紅葉もまだ早いのですが、大きなカメラを持ったりしてグループの人もやってきます。

 でもそれぞれお気に入りのスポットに出かけて行きますので、混雑するということはありません。私も朝露に靴が濡れないように、長靴に履き替えて散策と写真撮りをします。

 平安時代からの景観の保全に努めているだけあって、毎年安比の朝はすてきです。この日は朝霧があまりかからず、雲海に浮かぶ前森山は見られませんでしたが、このシーズンならではの竜胆の花がきれいでした。しかも白花もいくつかあります。

 
 

 安比高原の奥から鹿角方面に向かう場合、兄畑牧場のあたりからだと沢沿いに下って兄畑集落に出るのが近道です。(冬季・工事中を除く)途中にある袰部分校跡にはまだ校舎が朽ちることなく残っていてトトロの絵や遊具があります。

 次の目的地は大館能代空港に併設されている道の駅です。空港施設は夜間閉鎖されるようですが、手前に駐車場とトイレ棟がありますのでPキャンは可能です。日替わり昼食メニューが美味しそうなのですが、少し時間が早いので近くにある伊勢堂岱遺跡を見学してまた立ち寄ることにします。

 20217月に世界遺産登録された、北海道・北東北の縄文遺跡群の構成要素は13県に散在していますが、岩手は1か所のみ、秋田はこの伊勢堂岱遺跡と大湯環状列石の2か所があります。岩手はまだ行ったことが無いのですが、こちらでは結構整備が行き届いていると感じました。土偶の人気投票などもあります。1万年定住生活が続いた、SDGsの先駆けとも言えます。

 
 世界の4大文明は滅亡して、文化的・軍事的な衝突が世界中に現代までリアルタイムで続く憎悪と不安定な世の中をもたらしているのに対して、縄文は現代に至るまで破滅的な内部抗争は起こさずに継続されているとも考えられますので、視覚的に目立ったものはありませんが、人類の誇れる文化遺産です。
 場内に居たトノサマバッタのカップル。この種がおんぶしているのは初めて見ました。

 
 旅の後半は、秋田市から日本海沿いに南下して昨年に引き続き鳥海山の山形側で湧水や滝を見学します。この日の宿泊はいつもの道の駅象潟ですが、展望浴場は地元の方以外は禁止のようでした。途中の北欧の森公園も県民以外利用不可のようでした。
 山形県に入って間もなく、旧道の住宅の間に滝の水があります。日本海まですぐのところですが、鳥海山の噴出物が直接海に及んだことが過去にあるということで、改めて火山は気を付けなくてはと思います。
 遊佐町に入って、丸池様にも寄ります。まだ鮭の遡上には早く、孵化場は人影がありませんでしたが、近くの湧水起源の小川を散策したあと、フルーツサンドをグリーンストアで家族分も買います。昨年購入したあと、他のフルーツサンドも食べてみましたが、こちらのお店の物がパン生地の質がよく、一番おいしく感じました。
 鳥海山の中腹にある高瀬峡のPから高瀬大滝までハイキングコースを行きます。
 途中に2か所の吊り橋があったり、渓流に沿ったり明るい稜線の上に出てまた谷底に下りたり、階段を上ったり、鳥海山への登山コースの一部にもなっているようですが、変化のある道を40分ほど行くと大滝に出ます。
 滝の周りは岩が濡れているので、滑って頭を打たないように気を付けて進みます。少し気になったのですが、すぐ近くの集水域が杉林で伐採が進んでいたりしますので、景観や水量に影響が出ないか心配です

 次のポイントは胴原滝です。山肌に開いた二か所の穴から大量の水が湧き出てきて、配管もしてあって水を汲みにやってくる人が後を絶ちません。ですがその2か所の出口の間に木造のなにやら建物があって、近づかないとよく見えません。信仰に関わるもののようです。

 新庄市を通過して最上町にやってきました。全然知らなかったのですが、最上町のある小国盆地は日本最大級のカルデラだということで、説明板の範囲が外輪山と火口原になっていてその中央を陸羽東線が通過します。十和田や阿蘇が有名ですが規模ではこちらが大きそうです。でもカルデラのリストに載っていない場合もあります。

 宮城との県境に近い所に封人(ほうじん)の家があり、その向かいを300mほど歩いてゆくと 平地にある分水嶺があります。分水嶺は大抵山上の峰沿いにあって、県境等の行政区境界になっていることが多いです。岩手と秋田の県境もほとんどが奥羽山脈の山稜上ですが、八幡平市の北西部は米代川の流域になっていて、この地域からは秋田の高校へ通うことができます。また栗駒山中腹の竜泉が原も一部が分水嶺から県境がずれています。 

 意外にこの分水嶺という言葉を知らない人も多いようなのですが、ここに平地でも見られる分水嶺があります。右写真の奥の方から赤い鳥居をくぐって流れてきた小さな流れは、この説明板の後で右と左に分かれて流れて行きます。その行きつく先が、右は太平洋、左は日本海となっているのです。
 そして封人の家も見学します。これも何なのかわからずに入ったのですが、松尾芭蕉が奥の細道を歩いた際に実際に宿泊して「蚤虱(のみしらみ)馬の尿する枕元」の句を詠んだのがこの建物で、芭蕉の足跡で保存現存されているのはここだけということでした。係の方の面白いお話を聞くことができました。最終日はツアーでは珍しく温泉宿宿泊で、良いお湯とおいしいごちそうをいただいた翌朝に帰途につきました。。